私欲を捨てず、それでも人のために生きていきたい

 
 
ただいま深夜2時頃。
毎日のようにこの時間帯は、寝る気になれず、だけど、特にすることもなく、ただ目の前を空っぽの時間が消費していくことが多い。
本当は、留学のためにTEDを聞くとか、大学で借りた本を読むとか、意義のある時間の使い方はいくらでもできるのに、何もする気にもならないのだ。
ただ今は年始にブログを続けると宣言したことを思い出し、きっと誰も見てないことなんてわかっているけど、ただ思いつきで文章を綴っている。
 
ブログは好きだけど、書くことではなくて見ることが好きなんだなと思う。
好きなブロガーはたくさんいて、はせおやさい(id:hase0831)さんや坂爪圭吾(id:ibaya)さんの優しい文章は特に好きだ。
その他にもたくさんのブログを拝見していて、とても素晴らしい文章を書いている人が多くて、自分もいつかそんな誰かの心を動かすような文章を書いてみたいと思って、何度もブログに挑戦してきた。
大学1年の頃から、noteやはてなど色んなところにブログを開設して、恥ずかしくなって消して、そして、また懲りなく始めている。
どれも見栄で始めたものばかりだった。
 
 
初めから誰かの心を動かすことができると確証を得た文章なんか存在しない。
あるのは”思い"だけだ。
そこには、良いも悪いも、本当は存在しない。
それなのに、自分を良く見せたくて、感動的な文章を書くことに固執しすぎていたから、思うように書けないと苛立ちブログが続かなかったんだと思う。
 
 
大切なのは、自分の欲望を満たすことを諦めることなのだろうか。
他人に気に入られようとしても、よっぽど器用じゃないと大抵そういう浅はかな行動はすぐ見破られるし、上手くいかない。
だから、自分を良く見せることは諦めたほうが人生上手くいくはずだけど、果たしてそんな人間が存在するのだろうか。
利己的な感情を捨て、利他的に生きていくことを勧めてくる人がいるが、自分の欲望に蓋をして生きていくのは辛いと思うし、満たされなかった感情がいつか爆発して、結局誰かを不幸にしてしまう気がする。
 
そういえば、人間は他人に共感でき、他人の幸せに貢献することが自分の快楽になる、という話を聞いたことがある。
なんでも経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは、このことを前提に国富論を書いたらしくて、資本主義って良いじゃん、なんて思ったりした。
自分は大学生でまだ仕事はしてないけど、心の底から誰かのため、社会のために労働することは偽善じゃなくて、ちゃんと成り立つってことなんですよね、きっと。
だって、自分の人生のなかで、やっぱり誰かのためにした行為ってあるもんだし、仕事だけそれが適わないなんてことはないはずだ。
ただ、どんなに他己心で行動しても、結果人のためにならなきゃ仕事の意味がないか。
 

だらだらと書き連ねてきたけど、眠くなってきたのでそろそろ終わりにしようと思う。

結論は、利己的な感情を受け入れ、それと利他的な感情とが重なるように行動におとしていくことかなと思う。
それの交わるところがどんなところなのか言えないので、わかるまで自分に問いかけていきたい、利己と他己が交わることがあるのか、他の人に経験や意見を聞いてみたいなー思う。
 
 
ただ、俺もお前もそれぞれ楽しく、そしてみんなで社会を良くしていこうなって感じで生きていけたら、良い。
 
 
 
とりあえず、明日も生きましょう。